私達が普段何気なく行っている習慣の中にも、昔の人の願いや祈りがこめられています。
普段見過ごしがちなその意味を調べてみました。
「こんな事を教えて欲しい」「私の住んでるところではこんな習慣がある」などなど、ご意見ご感想がありましたらお知らせください。
鳥 居

鳥居は神社の象徴となっていますが、これは神社の入り口に建つ門の一種であり、神様の聖域と人間世界との境界線を示したものだといわれています。
大きな神社ではたいがい二つ以上の鳥居がありますが、その場合は外側にある鳥居から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と呼んでいます。
鳥居の起源についてはいろいろな説がありますが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸隠れのとき、鶏(常世の長鳴鳥)を止まり木にとまらせて鳴か せたところ、それによって大御神が岩戸から出てこられたことから、あるいは天孫降臨の際、鶏が道案内をつとめたから、などといわれています。
以後神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれています。
また、語源については「通り入る」とか「鶏(とり)居」という言葉が転化したものといわれています。
普通、鳥居の構造は二本の柱と柱の上に乗せた「笠木(かさぎ)」、その下に水平に通された「貫(ぬき)」という柱から成っています。材質は古くは檜や杉な どを用いた木造でしたが、後世には石造・銅造・コンクリート造などもできました。また、一見したところ同じように見える形にも、神明(しんめい)・春日・ 八幡・明神・稲荷・山王・両部・三輪などの種類があります。これらを大別すると、神明鳥居系と、神明鳥居が装飾的に発展した明神鳥居系の二つになります。 全国的に多く見られるのは、後者の明神鳥居系です。
絵 馬
祈願または祈願成就の感謝の証として神社に奉納する馬の絵を描いた額のことを「絵馬」といいます。絵馬の形は板の上部を山形にしたものが大半を占め、これにそれぞれの願い事を書いて奉納します。
日本では古くから神様の乗り物として馬が神聖視され、お祭りや祈願の時には神馬(じんめ)といって生きた馬を神社に奉納する風習がありました。その代わりに板に馬の絵を描き、奉納するようになったのが絵馬の起源とされています。絵馬が一般大衆に広まったのは鎌倉時代以後のことです。その頃から、馬の絵の 他にもさまざまな動物(キツネやヘビなど、御祭神と関わりのある動物)も描かれるようになりました。さらに時代が下るにつれ、図柄は多様化していったのです。
七五三

七五三をするのはなぜ
「子供は神様からの授かりもの」と言われます。この神様とは氏神様のこと。ですから子供が産まれると、約一ヶ月で氏神様にお宮参りをして報告と感謝をします。そして、「七歳までは神の子」と言われ、生まれてから幼い間は魂がまだ、定着していません。神前で祝いの儀式を繰り返すことによって、魂を固めていくという意味があります。
何故、三・五・七歳に祝うのか?
七五三は江戸時代の武家社会において子供の成長の節目を祝う風習であり、
それぞれを
髪置(かみおき) 三歳
袴着(はかまぎ) 五歳
帯解(おびとき) 七歳
と言いました。
髪置とは、
三歳の男女が頭髪をのばす儀式です。生まれてから三歳頃までは髪を剃り上げていました。
袴着とは、
五歳の男子が初めて袴をはく儀式です。袴をはくことで男としての自覚が生まれます。
帯解とは、
女子が付け帯をといて大人の帯を締める儀式です。付け帯をとり、八つ口をふさいで小袖を着せ、幅広の帯を締めます。魂を内にしっかりととどめ、身を持ち崩さぬ ようにとの願いが込められたと言います。
いずれにしても、三歳は一人歩きをはじめ、五歳はやんちゃで目が離せない、七歳は社会の仲間入り(現代では小学校入学)という、親にとっては心配な時期を七五三というめでたい数字にのせ、家族の笑顔の中で子供の成長を見守るということは、昔も今も、大切なことに変わりありません。
熨斗(のし)袋の使い方
神社で御祈祷をお受けになった際、御祈祷料をお納めになる時に使われるのが『熨斗袋(のしぶくろ)』です。
熨斗袋とは、『熨斗(のし)』や『水引』がついた袋のことです。予め印刷された物も多くあります。

熨斗の起源は、「のしアワビ」を、贈り物として添えていたことから始まります。 元来、アワビを細く伸ばして干したもので、当時貴重な保存食であり、長寿をもたらす食べ物とされてきました。
現在では右図のように簡略化され、アワビのかわりに黄色い紙が用いられるようになっています。現金を送る際の封筒にこの熨斗がつけられるようになりました。
神社でお祓いを受ける際には、この熨斗袋に一定の金額を包んでお納めします。表書きには『初穂料』または『玉串料』などと書きます。水引の下に、御祈祷をお受けになる方(初宮・七五三ではお祝い児)の名前を書きます。

今ではお金を包むことが一般的になりましたが、昔は実りの秋には神さまに感謝の気持ちを込めて、その年の最初に実った稲穂を神さまにお供えしていました。稲穂(初穂)をご神前にお供えしたことにちなみ、神様にお供えする金銭のことを『初穂料』と表すようになりました。またご神前に拝礼する際に玉串(榊の小枝に紙垂を付けたもの)を奉ることから『玉串料』とも言われます。また、玉串料という表書きは、慰霊祭などの霊祭や弔事の際にも使用できます。その他「御供」「御神前」などがよく用いられる表書きです。
本来は、慶事、弔事とも表書きは毛筆が原則です。お祝い事には濃い黒を、葬式などの場合は薄墨で書きます。毛筆が苦手だという方も、万年筆やボールペンでは無作法とみなされてしまいます。最低でも黒のサインペンを使って下さい。
熨斗袋は神社以外でも、慶弔時に現金を送る際に利用されますが、祝儀・不祝儀などの種類があります。水引の色や結び方、熨斗の有無で用途が変わってきます。
祝儀袋

『結び切り』という水引です。簡単にほどけないことから、使えるのは一度きりなので、挙式など何度も繰り返すのが好ましくない場合にこの袋①を使います。
水引の色は紅白ですが、五色などの水引もあります。

初宮・七五三など何度繰り返してもよい慶事には、水引は『蝶々結び』の袋②を使います。水引の色は紅白や五色など。
この他、合格祈願、厄祓、車祓などの御祈願もこちらの熨斗袋を使用するのが一般的です。
不祝儀袋

葬式などの弔事の水引は『結び切り』で、熨斗はつきません。③を使用します。水引の色は白黒・白銀・白紫などになります。
尚、葬式の時の表書きは薄墨で書きます。
お見舞いの場合
お見舞いの場合でも祝儀袋を使います。ただし、熨斗はつけません。熨斗は長寿を祝うものですから、元々はつけるのが正しかったのですが、今では「病を『のばす』」という縁起の悪いものとして受け取られるようです。熨斗の付いてないご祝儀袋に、『お見舞い』『祈御全快』などと表書きをします。祝儀袋では抵抗があるようでしたら白い封筒などを用います。間違っても不祝儀袋を使わないように注意しましょう。
包み方

慶事
ますます運が上がりますようにと、下側の折り返しを上にします。
袋の紙は2枚以上重ねたものを使います。祝い事が重なるようにという意味になります。

弔事
上の折り返しを上にして、目を伏せた悲しみの状態を表します。
袋の紙は不幸が重ならないようにと1枚だけです。
ひな祭り

三月三日の雛祭りとは、雛人形やその調度類を飾り、白酒・菱餅・桃の花などを供えて女の子の健やかな成長を祈る行事です。
元来は紙などで作った人形(ひとがた)で身体をなで、息を吹きかけたりして、その人形に罪やけがれを 移し、海や川に流すという祓いの行事でした。
この人形が、時代が下るにつれ、いつしか王朝風の美しい雛人形へと変化し、人々に愛玩され観賞されるようになりましたが、それと共に祓いの習俗は失われて いきました。しかし、現在でも鳥取県地方には、そのような雛祭りの原型が「流し雛」という形で残っています。
鯉のぼり・端午の節句

五月五日の「端午の節句」に飾られる鯉のぼりは、男児の健やかな成長を願ってたてられるものですが、この行事は中国から伝来した習わしです。中国ではこの日に菖蒲酒を飲むなどして邪気を祓う行事が行われてきました。菖蒲の香気は邪気を祓うといわれ、魔よけの薬草とされていたからです。
この風習は日本にも伝わり、菖蒲酒や菖蒲湯などを経験した人も多いと思います。
この菖蒲が「尚武」と同音であることから、武家社会においては男児のお祝いとして甲冑などを飾り、勇ましく成長することを祈りました。これが形を変えて、武者人形飾りになりました。
鯉のぼりは、滝をさかのぼる力強い鯉にあやかったものといわれています。
十五夜
「十五夜とは旧暦八月十五日、新暦では九月中旬あるいは下旬に、満月を観賞する行事です。「お月見」「名月」「中秋の名月」ともいわれ、昔から月見の好時節として詩歌や俳句の題材ともなっています。
一般的に十五夜には、すすきを花瓶に挿して、団子と里芋や梨など、その時期の成り物を供えて、感謝の気持ちを表します。関西から中国地方にかけては、里芋を供えることから「芋名月」ともいい、もともとは芋類の収穫祭、すなわち畑作儀礼だったと考えられています。
このような月見の習慣は、中国では唐の時代からあり、これが日本に伝来しました。そして、畑作物の収穫に関連する行事へと発展し、現在に至るまで長い間伝承されてきたのです。
十三夜
十五夜から約1ヶ月後の旧暦9月13日を「十三夜」といい、十五夜に月見をしたら必ず十三夜にも月見をするものとされていました。十五夜だけでは「片見月」といって忌まれていたのです。逆に十五夜を忘れたら十三夜もやらなくて良いそうです。十五夜が「芋名月」に対し十三夜は「豆名月」「栗名月」ともいわ れます。豆というのは枝豆のことで、枝豆や栗を供える習慣があります。
大 祓(おおはらい)
大祓とは
1年もしくは半年の内に、自分自身が知らず知らずのうちに犯した罪や過ちまた心身の穢れ(けがれ)を祓い清め、本来の清浄な心身に戻り日々の生活を営むための神事です。
この神事は毎年6月30日と12月31日の二回行われ
6月の大祓を『夏越し(なごし)の大祓』、12月の大祓を『年越しの大祓』とも言います。
神事には、人形(ひとがた)という祓具(はらいぐ)によるお祓いや、茅輪(ちのわ)くぐり(6月のみ)が挙げられます。
茅輪は、茅草(かやくさ)で作られた大きな輪で、それをくぐることで疫病や罪穢れが祓われると言われています。
茅輪のくぐり方(6月のみ)
左まわり、右まわり、左回りと、八の字を描くように三度くぐりぬけます。こうして、心身共に清らかになって、神社へ参拝します。
浅草神社では、6月15日頃~6月末日まで社殿前に、茅輪を設置致します。


人 形

人形は撫物(なでもの)ともいい、紙を人の形に切り抜いた物です。これに名前と年齢を書いて、身体を撫で、息を三回吹きかけます。
そうすることにより、自分の罪穢れを移し、我が身の代わりに清めるというものです。
浅草神社におさめられた人形は、
6月30日午後三時 12月31日午後三時
に大祓の御祈祷を行った後、お焚き上げします。
正式参拝

通常、神社でのお参りは社殿前のお賽銭箱の前でお参りされる方が多いと思いますが、これは略式の参拝になります。これに対して社殿の中に入って参拝する事を正式参拝といいます。
正式な参拝になるので、自分の好きなようにお参りすれば良いというものではありません。きちんとマナーを守り、作法に則って行う必要があります。
先ず鳥居をくぐる前に一礼。そして参道の真ん中は歩かず、左右どちらかの端を歩きます。参道途中にある手水舎で、手水を済ませましょう。ここまでは略式の参拝でも行います。
受 付
- 神社に正式参拝の申し込みをします。
-
初穂料を納めます。
初穂料の目安
個人の場合 1万円前後
団体の場合 3万円からお気持ちもしくは1人1000円以上神様にお納めするお金になります。古くは稲や農作物をお供えしましたが、現在ではその代わりとなる金銭を初穂料といいます。
お金をそのまま納めるのではなく、右図の『のし袋』と呼ばれる物に入れてお納めします。もちろんお釣りが無いように準備しましょう。
正式参拝の流れ
一、案内に従って所定の位置につく
一、修祓・・・お清めのお祓いの儀式
一、玉串を奉りて拝礼・・・榊という小枝に紙垂(しで)と呼ばれる白い紙をつけた物をお供えします。
一、神酒拝戴
服装について
神様に失礼のないように、かつては正装での参拝が求められました。現在でも神様への敬意を失しない服装が望ましいです。
男性 | スーツ・ネクタイ着用 |
---|---|
女性 | 男性に準じます。 落ち着いた色のフォーマルなスーツかワンピース。ただしミニスカートや肌の露出したものは避けます。 |
男女ともに、はだしでのご昇殿はできません。夏場でも必ず足袋やストッキング、靴下などを着用して下さい。
狛 犬

狛犬は「高麗犬」「胡麻犬」とも書き、神社社殿前や参道などに置かれた一対の獣形像のことをいいます。狛犬の原形はオリエント、インドにおけるライオン像で、それが中国大陸そして朝鮮半島を経て渡来しました。沖縄県では「シーサー」といわれる獅子が、各家の屋根に魔よけとして置かれていますが、神社の狛犬も同様に、邪を退け、神前守護の意味があります。
材質は石が多く見られますが、木や銅、鉄製のものなどもあり、一般的に雌雄で一対になっています。また、片方は口を開け(阿)、もう片方は口を閉じ(吽)ているものが多くみられます。「阿吽(あうん)の呼吸」という表現はここから来ていると考えられています。
浅草神社の幣殿にある狛犬は木製で、台座に『慶安二年』とかかれています。社殿と時同じくして造られ、350年以上の月日を経ています。
節 分
「節分」とは立春の前の日をさします。そもそも節分という語は、立春だけに限らず立夏・立冬・立秋の前日をさし、四季の節目を意味していた言葉でした。つまり節分は一年に四回あったわけですが。旧暦では立春が年の始まりにあたったことから、この節目が特に重用しされて、いつしか節分といえば、立春の前日を指すようになったのです。
節分には、災厄や邪気を祓う行事が行われますが、その代表的なものに「豆まき」があります。年男は「福は内、鬼は外」と唱えながら、煎った大豆をまいて鬼を祓うこの行事は、中国の明の時代の習慣を、室町時代に取り入れたといわれています。かつては、豆まきを「追儺(ついな)」「鬼遣らい(おにやらい)」といい、宮中の年中行事の一つでした。舎人(とねり)が扮した疫鬼を追い払うことにより、災厄を祓い除くというこの儀式が、次第に民間に伝わっていったのです。
また、関西地方では、節分の日に太巻きずしを食べる習慣があります。
太巻きを鬼の金棒に見立てて食べることで、「鬼を退治する」という意味がこめられています。また、切らずに長い太巻きをそのまま食べることで「縁を切らない」とか、巻きずしなので「福を巻く」という意味合いもあり、多くの人に福が来るようにという祈りがこめられています。この食べ方も様々で、「恵方と呼ばれる方角を向いて食べる」「立ったまま食べる」「笑いながら食べる」「食べ終わるまでおしゃべりをしてはいけない」など、その地域の風習によって違ってくるようです。
玉串奉奠
玉串奉奠(たまぐしほうてん)を正しくは「玉串を奉(たてまつ)りて拝礼」といいます。改まった参拝や祈祷、祭典に参列したときなどには、神様へ「玉串」を奉って拝礼します。
「玉串」とは榊(さかき)や杉などの常緑樹の小枝に紙垂(しで)や木綿(ゆう)をつけたものです。
神前にお供えするものとして、お米や酒、魚などと同様の意味があると考えられています。しかし、玉串は祭典の中で捧げて拝礼することから特別な意味を持ちます。神様に敬意を表し、且つ神威を受けるために祈念を込めて捧げるものです。
玉串奉奠の作法

一、玉串を両手で受け取り、左手の手のひらに乗せる形で、右手で玉串の根本を持つ。

二、右手で玉串の根本を自分の体の方に向け、左手を右手に添える。

三、玉串を自分の顔に寄せ、数秒間ご祈念申し上げる(願意を込める)。

四、右手で玉串の上の方(葉部分)を持ち、時計回りに回して根本を神前へと向ける。

五、左手を右手に添え直し、玉串の葉を両手で持つ。

六、神前に一歩進み、案の上に玉串を両手でお供えし、一歩下がる。

七、気持ちを整え、神様に対し「二礼二拍手一礼」の作法で拝礼する。
注意点:神様に対して「お願い事を申し上げる」という気持ちを忘れないこと。
古いお神札の納め方
年の暮れには大掃除をして、新しい年を迎える準備をしますが 同様に、神棚もきれいにして新しいお神札をおまつりします。 一年間お守りいただいたことに感謝申し上げてからお札を受けた神社へ納めて『お焚き上げ』してもらい 新しいお神札をお受けします。遠くの神社で受けたお神札を納めに行くのが大変な場合は 近くの神社でお焚き上げしてもらっても構いません。
多くの神社では大晦日から一月十五日までの間に左義長やどんど焼きなどが行われ古いお神札や、お正月飾りのお焚き上げを行います。
浅草神社では年末(12月25日前後)に境内に古札納所を設置致しますので、1月15日までにそちらにお納め下さい。
お焚き上げ
※浅草神社ではお焚き上げ(どんど焼き)を行っておりません。
新しい年を迎えるにあたり、一年間お祀りしたお神札やお守り、注連縄、古い神棚などを、粗末にならないように神社に納め、浄火によって燃やす事をお焚き上げといいます。これによって神々に感謝の心を捧げ、諸願成就を改めて祈る神事であり、我々日本人が長年培ってきた文化の一つです。
お焚き上げとよく似た行事として左義長があります。左義長は主に正月15日を中心に行われ、小学校などでも民間行事として行われており、地域によっては「どんど焼き」「どんどん焼き」「さいき焼き」とも呼ばれています。
平安時代に陰暦正月十五日、また十八日に御所において、毬杖と呼ばれる竹または木を三叉に組んで立て、その上に扇・短冊などを結び陰陽師がこれを焼いて厄祓いや占いをした事が始まりで、今日では、正月の松飾りなどを集めて焼き、その火で餅を焼いて食べると無病息災が得られるなどの信仰があります。
お焚き上げ神事と左義長は本来異なるものでしたが、近年では同様に行われることが多くなりました。
家庭でのお清め方法
- 新聞紙を広げ、その上にお清めする物を置きます。
- 次にお清めする物にお塩を左、右、左と三回かけます。
- 最後にそのまま新聞紙でくるみ、処分して下さい。